背番号41の大きな思い出

2020-08-10

「天ちゃんの、今までで一番好きなカープ選手は?」

「背番号41!!」

「藤井皓哉?」

「イヤ違う。」

「誰よ。」

「守岡茂樹だ。」

「もりおか?」

「何と!守岡茂樹を知らないのか!?」

「はい。」

「昭和45年ドラフト7位でカープに指名され岡山東商業から入団した左打ちの外野手。」

「高卒ルーキーね。」

「一年目の46年から一軍に出場。」

「カッコイイ!」

「さらにジュニアオールスターに選出される。」

「有望選手になったのね。」

「そこからなんだ。」

「え?」

「169㎝の小柄で長打力がなかったので、監督も先発起用にためらいがあったから年度によって出場数にムラがある。」

「あらま。」

「そこで守岡は生き残りのために長打を狙わず、確実に単打を狙って率を稼ぎ49年には規定打席には足らないものの一番打者に指名されて打率は3割を超えた。」

「カッコイイ!」

「しかし初優勝の50年には、水谷、山本浩二、シェーンがいて出場が減ったが…」

「が?」

「翌年は左打者の山本一義の引退、萩原の負傷で出場が再び増える。」

「人間は耐えて待つものね。」

「でもね。」

「何?」

「ライトル、ギャレットと、もの凄い外人が入団して全く出場機会がなくなって、自由契約になっちゃった。」

「最後はさみしいわ。」

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